コラム:データ植民地

現在、日本ではさまざまなデータが他国に送信されています。表向きには「プライバシーに配慮している」と言われますが、法的概念はグレーゾーンのままという印象を持つことが少なくありません。

IT関連の仕事に従事してきた経験から言えるのは、セキュリティに「絶対」は存在しないということです。インターネットに接続した瞬間から、100%安全という状態は成り立たないとすら感じます。

そんな中で私が注目しているのが、いわゆる「データ植民地」という概念です。これは「データを制御することで他者を支配する」という考え方で、ユヴァル・ノア・ハラリ著『NEXUS』でも触れられています。

データの重要性は、IT業界や経営層でなければ深く意識されないかもしれません。多くの人は「周りも使っているから安全だろう」という感覚で利用しているように見えます。中には「無料だし、奪われても困るものはない」「データを盗られても被害はない」と考える人もいました。2010年代の当時は私自身も「まあ、確かに」と思う部分がありましたが、心のどこかに「でも本当にそれでいいのか?」という違和感を抱き続けていました。

最近になって強く感じるのは、危険性が実際に見えているのはIT従事者や経営者層の一部に限られ、多くの人はそのリスクを認識すらできていない、ということです。これは例えるなら、無免許運転で道路を走っているようなもの。運転はできても、どんな危険が潜んでいるかを理解していない。そして事故を起こして初めて気づく、というパターンに似ています。

もちろん「そんなことを言っていたら何もできない」という意見も理解できます。しかし、ユーザーの立場だけでなく、メーカーの視点、さらに大きな社会的視点に立つと、見えてくるものがあります。それが「データ植民地」という構図です。

歴史を振り返れば、約100年前の工業化社会では、原材料を確保するために他国を攻めて植民地化する動きがありました。しかし当時の大きなポイントは「重要な工業技術は他国に移管しなかった」という点です。

現代を考えてみるとどうでしょうか。データは吸い上げられている一方で、そのデータの高度な分析は国外の一部企業にしか許されていません。国内企業でも扱える範囲はありますが、インフラ系や大手ECなどでは外資系に依存しているのが現実です。さらに、現代ではコンテンツを通じて人々の思考や行動をコントロールすることも可能になっています。つまり、気づかないうちに植民地化が進むこともあり得るのです。

「データ植民地」――これは今まさに進行している可能性が高いのではないか。そのように考えると背筋が寒くなります。

もちろん、ここで述べたことは可能性にすぎず、明確な証拠やエビデンスがあるわけではありません。だから断定することはできませんし、必要以上に不安を煽る意図もありません。ただ「そういう考え方もある」と心の片隅に留めておくことは、決して無駄ではないと思います。

日々の仕事に追われる中でも、ほんの少し立ち止まって疑問を持つ、仮説を立てて考えてみる――そうした姿勢が大切なのではないかと感じています。